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喫茶流儀としての「工夫茶」形成過程再考 ‐日本・琉球史料を視野に入れて‐ (修士論文)

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 本論文は、明清期の中国における茶の加工方法の変革をよく表している「工夫茶」と呼ばれる喫茶流儀に焦点を当て、従来の研究で十分な分析がなされていない中国側の史料に加え、工夫茶の文脈で重視されてこなかった日本・琉球の史料をも視野に取り入れ、それらの史料に対する詳細な分析を通じ、工夫茶の形成様相に対し、より精確な考察を試みたものである。
 昨今、工夫茶は多くの場合で「中国茶」を淹れる際の代表的なやり方とされ、現代の喫茶様式の源流を物語る、あるいは日本の煎茶文化がいかに大陸から影響を受けたのかについて論じる著述にも工夫茶についての言及がよく見られるが、実はその形成過程には不明な点が多い。この状況に対し、工夫茶の歴史について、学問的検討が十分に行われたとは言えまい。本論文は、現時点での史料の制約を考慮に入れ、考察の焦点を工夫茶全般ではなく、ほかの流儀と比較することで見えてくる諸特徴が、文献上で確認できる源流、あるいは時代上限に絞る。関連史料に見える喫茶活動に参加する主体となった地域・階層の変化を念頭に置きつつ、茶器の大きさ・使用する茶葉の種類・淹れ方などに着目し、先行研究で工夫茶の早期における歴史に関わるとされる史料に対し、再検討を行う。また、これまで重視されていなかった、専門的淹茶器としての蓋碗の使い方を記録した日本・琉球側の文献における関連記述に対する分析を行うことで、今後の工夫茶ひいては近世東アジア喫茶史のさらなる様相解明に知見を提供したい。
 本論文は、序章・結語のほかに、全四章により構成される。
 序章では、問題意識の解説、用語解説、論文構成の紹介を行う。
 第一章「先行研究の整理と本論文所用の手がかり」では、まず工夫茶という喫茶流儀が誕生した背景を紹介する。そして、工夫茶を取り上げた限られた先行研究には、論理的飛躍のよう問題点が多く見受けられるため、工夫茶に対する新たな考察を確実に進めるために必要な先行研究を批判する作業を行い、工夫茶の形成過程を究明しようとする際に参考に値する部分を紹介する。そして、伝統的工夫茶流儀を網羅的に記述したと言われる「潮州茶経・工夫茶」と明代の「文人茶」流儀の要素を全面的に記録した代表的な史料とされる『茶疏』との対比で、工夫茶と歴史上におけるほかの喫茶流儀との異同を検討する手法を紹介する。また、両史料に記される喫茶流儀から要素抽出を試み、それを瞭然と比較できる表を示した。
 第二章では、まず「工夫茶」がグレード・品種名として使用される史料を紹介し、それと本論文で主な考察対象とした喫茶流儀である工夫茶との区別を示す。そして「潮州茶経・工夫茶」を基準として参照しつつ、先行研究で提示された工夫茶の時代上限の判断に関わる一次資料の読み直しを行い、今までの資料から読み取れる工夫茶関連の史実を再検討する。その過程では、茶器の大小に関して、史料に述べられた参照物・単位を活用し、可能な限りそのサイズを数値化した。また、青木正児の研究で言及された、朱舜水が日本渡航後残した『談綺』に見える当時の中国公式の「官升」と異なる餘姚の地域的な単位である「郷升」と日本の升との転換関係を活用し、諸文献に見える茶器の実際のサイズを再検討した。
 本章の考察で得られた結論は主に以下のものである。まず、『随園食単』からは、当時の武夷山の僧侶・道士の間では、烏龍茶(発酵茶)である可能性の高い武夷茶が近代の工夫茶に近似する喫茶流儀で飲まれていたが、使用する急須の大きさはそれより大きい可能性がある。
 そして、『夢庵雑著』に対する分析から見える事実は以下となる。①潮州・梅州(嘉応州) の六篷船において工夫茶に使われる急須のサイズには、同時代における主流の宜興窯急須と同じ程度のものがあるが、近代の工夫茶で愛用される「孟臣壺」すなわち容積60-80ml程度の急須の使用は確認できない。「小さい急須」を重視する点から見れば、『夢庵雑著』で確認できる「小ささ」の程度は、近代の工夫茶で求められるほどの「小ささ」が求められていたとはいえない。②工夫茶を行う場所については、潮州・梅州(嘉応州)の六篷船が確認できるものの、それ以上に広まっていた範囲が確認できない。③工夫茶を行う主体は、広東東部の地元の人だけでなく、外来者もその一部である。
 そして、一次史料の読み直しと従来工夫茶の文脈で重視されていなかった日本・琉球の史料『大島筆記』などに対する分析で、工夫茶の形成過程を解明する際においてその特徴的要素であり指針となり得る「専門的淹茶器としての蓋碗」を提示する。そして、『大島筆記』が淹茶器としての「蓋碗」の使い方を最初に記録した史料である点を強調し、本論文「補遺」章での清明茶・武夷茶の製法に対する考察をも参考として、茶の種類、茶器、淹れ方などの視点から『大島筆記』にみられる喫茶流儀とほかの文献に見られる工夫茶的流儀との異同について論じる。そして、日本・琉球側の史料が、中国における喫茶活動の様相に対しより階層・地域的に細分化した解明に資する可能性を提示する。
 第三章では、工夫茶にも使われる茶器である蓋碗に焦点を当てる。淹茶器・茶飲み茶碗を兼ねる蓋碗、専門的淹茶器としての蓋碗という二つの使い道を提示する。つぎに、『儒林外史』、『紅楼夢』という明清期の小説に登場する蓋碗の使い方に対する考察をも行う。最後に宇治の漢学者、平沢元愷の長崎における見聞録である『瓊浦偶筆』にみられる茶飲み用「蓋碗」についての記録を紹介し、『瓊浦偶筆』が18世紀以前における茶器としての蓋碗の使い方を解明するには貴重な同時代史料であることを示したい。
 第四章「補遺」では、琉球で輸入・生産された清明茶・武夷茶・松蘿の製法に対し、『紙漉方并茶園方例帳』に記録された使用材料を利用し、釜炒り緑茶・烏龍茶に同定することを試みる。また、「宮中硃批奏摺」、「軍機處錄副奏摺」に対する調査により、近世において琉球の清からの茶葉輸入量に対する統計を行い、表を示す。
 結語は、本論文の達成点をまとめる。そして、本論文は、方法を提示し、史料に対するミクロな考察を行ってきたものの、史料の不足から制限を受けたために、工夫茶の歴史に対し、まとまった結論が得られなかった、また考察を工夫茶の時代上限に焦点を絞ると設定したものの、最終的に工夫茶の「時代上限」についても確実な結論を得られなかったといったような問題点を指摘する。また、近世喫茶史研究において、喫茶流儀の変遷について地域・時代・場所・階層的に細分化して調査・研究を行う必要性を説き、茶器の大きさが「大か小か」という点にとどまらず、参照物を活用してより具体的に比較するといった細部への着目が、さらなる事実解明につながるという今後の課題と展望を述べる。

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