碧螺春・在来群体種
2026年春・蘇州西山
4月3日摘採製茶
碧螺春は、日本でいう江戸時代初期にあたる時期から、蘇州太湖の東山・西山一帯で作られてきた緑茶の銘柄である。もともとはこの土地の品種群、製法、環境が重なって生まれたお茶でもある。
今年は春が遅く、3月末になってようやく摘採が始まった。こちらは、4月3日に摘採・製茶されたロットである。
正直、このロットの花果香は、自分が飲んできた最高の碧螺春の一割ほどしかない。けれど、蘇州の在来種らしい味わいはしっかり感じられるロットである。
碧螺春は、少なくともこの十数年、芽の細かさ、産毛の多さ、摘採時期の早さによって評価されることが多くなっている。どれも分かりやすく、贈答品としても説明しやすい。しかし、碧螺春を名茶にしたものは、そうした見た目だけではなかったと思う。
特徴的な香りは、よく「花果香」と呼ばれる。花か果物のような、ほんのり甘い香り。ジャスミン茶のように明快な花香でもなく、香水レモンのように誰にでも分かりやすい果実香でもない。さらに必ず出るわけでもないので、評価されにくい。
分かりやすいものが求められる市場の中で、碧螺春は次第に「細いお茶」「早いお茶」「産毛の多いお茶」として扱われるようになった。そして、蘇州の在来群体種と東山・西山の環境に由来する、碧螺春本来の味わいは見えにくくなっていった。
今年は東山・西山で七軒ほど茶農家を訪ねた。その中で、花果香が比較的よく出たロットに出会えたのは二軒ほどだった。
細かな産地の違い、果樹との間作、野放、有機栽培、薪火仕上げ、土壌の特徴。どれも風味に関わりうるものではある。しかし、それだけで花果香が必ず出るわけではない。むしろ話を聞けば聞くほど、花果香は一つの条件だけで説明できるものではなく、その年の気候、摘採の時期、品種、製茶の具合などが重なった結果として、たまたま現れるもののように感じる。
山で石が多く、お茶の味には良いとされる環境が、果樹にとっては必ずしも育ちやすい環境ではない、という話も印象に残った。果樹があるから花果香が出る、土壌が特別だから必ず出る、というような説明では足りない。
茶農家自身も、本当は完全には制御できない。謙虚な作り手は「今年はあるかもしれないし、ないかもしれない」と言う。逆に、「この産地・作り方・人だから必ずある」と言い切ることは、慎んだほうがよいと思う。
結局のところ、毎年いくつかの茶農家にサンプルを頼み、実際に飲んで決めるしかない。碧螺春らしい、はっきりした花果香を持つロットは、本当に少ない。
今年もっとも良かったのは、4月1日、4月2日頃に作られたものだったが、ほとんど残っていなかった。今回の4月3日のものは、最高のロットと比べれば、花果香がよく出ているとは言えない。それでも、蘇州の在来種と、東山・西山の環境に由来する、言葉にしにくい独特な味わいは感じられる。
20世紀後半以降、東山・西山では、より早く摘めるお茶を求める市場に応じて、四川・浙江・福建などから早生品種が導入されてきた。もっと早くできたお茶を贈りたい、より早く市場に出したい、という需要のなかで、品種や栽培のあり方も少しずつ変わっていった。
特に陸続きで経済発展の早かった東山では品種の置き換えが進み、2024年時点で外来品種が約8割を占めるようになっている。一方、西山は1994年に太湖大橋ができるまで、外部とは船でつながる島だった。販路が安定しない茶農家も多く、そのために、かえって在来群体種がよく残った。守ろうとして残ったというより、置き換える理由が十分になかった。
中国でも日本でも、本来の碧螺春を飲んだことがないまま、ただ「細いお茶」「有名な銘柄」として飲まれていることが多い。花果香という言葉だけが一人歩きし、その香りを知らないまま、知っているかのように語られてしまう。
そうして、ただ上品で細いだけの緑茶が、いつの間にか「碧螺春らしい」とされていく。
名前が有名になりすぎると、味そのものよりも、名前をめぐる合意のほうが強くなることがある。
この茶は、特別に派手な碧螺春ではない。けれど、名前や見た目だけではない、蘇州の碧螺春が本来持っていた味わいの方向を、少し確かめられるお茶だと思う。
西山島には、碧螺春や龍井という名前がまだ広く知られる前から、茶を好む文人たちのあいだで名を馳せた水月塢・水月塢寺周辺の茶の記憶もある。一時代にあれほど知られた茶でも、数百年経てば、ほとんど忘れられる。
茶の名前も、人の評価も、あまり長くは残らない。
来年また、90点以上の花果香を持つロットに出会えたらいいなと思う。