現在作られている梨形のなかで、
これほど生き生きとした気韻を帯びた曲線を持つものを、初めて見た。
鋭さを秘めた丸み。
全手工ゆえ、一点一点その姿は大きく異なり、
独特の個性を持ちながらも、奇を衒うところがほとんどない。
取手や注ぎ口、全体のシルエットなど、
繊細であるべき部分は美しく整えられているが、
作り込みの巧みさを殊更に誇示するような匠気は感じさせない。
まるで古代から伝わった、名も残らぬ作者による名品のようだ。
作者自身も古人のように、自らを誇示することに関心がなく、匿名を望んでいる。
全手工による「底片」の接着工程では、
脂泥(接着用に水で溶いた泥)と土板との収縮率の違いによって生じる痕跡さえ愛おしい。
この個体の底款は
「明月来相照 逸公」
・王維『竹里館』の一句に由来する。
深い竹林の中に独り坐し、
人に知られることなく、
ただ明月のみが静かにその姿を照らす。
喧騒から離れた静寂と、
誰かに見せるためではない充足を詠んだ詩である。
茶を淹れ、ひととき心を遊ばせる器の銘として、
いかにもふさわしく思われる。
・「逸公壺」は、清代の紫砂名工・惠逸公の名に寄せた小品壺の一系であり、現在では一つの流行した古式・名款として受け継がれている。
ここでの「逸公」も実作者名というより、古い朱泥小壺の世界への寄託として見るべきだろう。